こんにちは。
ずもです。
学生時代、皆さんは何を学びましたか?専門分野は何ですか?
私は『視覚伝達デザイン』でした。
でもずっと思っていましたが、そもそも『デザイン』ってなんだろう。
と、思ったので記事にしてみようと思います。
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『デザイン』は日本にとっては輸入した概念です。当てはまる日本語がありません。。グラフィックデザインも、歴史的にみると日本に入ってきてからそれほど経っていません。
語源は『計画を記号に表す』という意味のラテン語『デッサン』から来ているそうです。『様々な問題を解き明かすための思考・概念の組み立てを媒体に応じて表現するこ(by.Wikipedia)』だそうです。
ほーん。( ´∀`)そうなんや。
なんかそう考えるとますます自分向きの行動ではないなと感じますわ。。
そんなさー難しいこと考えなくてもよんだけども優れたデザインはやはり考えられて作られていて、かつ美しい、造形美のあるものばかりですね。単に美しいのは芸術。機能美や意味が込められているとデザインになる、って感じがします。
頭の回転が良い人、柔らかい思考ができる人に向いてる行為だと思いますね、デザイン。
NHKのピタゴラスイッチとか、デザインチックな番組も多くて、かわゆいし楽しいし考えられてるって感じるから、大人が見ても面白い。
そう。『考えられてる』。これだ。
この『思考×見た目』が目的に合わせて作られていく過程とか行為自体がデザインするってことなんだわさ?
だから頭柔らかくないとできない。
学生の時に先生であるくそじじいが『遊べ!引き出しを増やせ!』と言っていた。奴のことは今でも好かぬ。が、その意味はよくわかる。ものを知らないとできない。ものを知らないと思考や発見ができない。材料は自分の中に必要なのだ。
グラフィックデザインだと、エディトリアル、DTPといった紙面媒体中心と、今ではWeb主にデザインも指すのかな?
わたしはやっぱり文字組をいじったり、紙の質感だったり印刷だったり、物理的なアナログな物が発生する紙媒体が好きです。あと機能性考えるよりも、見た目を考えることが好きですね。
紙面でも、目の動線とか、イメージやメッセージ性などの機能性も求められてはいますが、WebやUIみたいに使い勝手を求められるものでもない。ピクトグラム(は日本産まれ)もとも違う。紙面が見た目ある程度作れちゃえば、ピンキリあるからデザイン下手でも成り立つ。書いてありさえすればなんとかなる部分が存在してる。デザインの中のビジュアルの良さ中心で進められる部分がある。
見た目作るのは最初は楽しいけど、右向いても左向いても似通ったものがたくさんあるから、『こうしとけばオシャレでしょ?みんなこーゆーの好きでしょ?』的な商業デザインの大多数の正義。空気読む的な。流行りというかなんというか『大体今ってこんなの流行ってるよね』というその『ウケそう』な感じ出せれば形にはなる。
だけどそこからもっと機能美とかアイデアを足して、自分の作ったデザインとコラボできるかがグッドデザインって感じがする。
私にとってのクリエイティブな活動はデザインではない。
デザイン行為にはルールがあって、その中でできる自由もあるけど、わたしにとっては不自由な感じがする。腕もセンスも経験値もないけどそんな感じがする。
物が形になって行くことは楽しい。それで喜んでもらえたらとても嬉しい。だけどそれを仕事にすると、エンドユーザーまで関われることは少なくなる。自己満の達成感はあっても喜びは少ない。
描いた絵を褒められるのは嬉しい。デザインでは使った文字も写真もイラストも文章も、自分のオリジナルではないのでどこか人事な気がしてしまう。どこか自分の作品ではないと感じる。
何よりそこにプロフェッショナルを持持てないことに気がつきました。そこそこでいいでやれる仕事じゃないけど、プロクオリティ出るまでやり続けられない、と気がつきました。
頼まれたら全力は尽くしますが、とはいえ安全圏なデザインしか作ることができない。冒険者にはなれない。リスクを負ってまで攻められない。
昔、先輩に『デザイン好き?』と聞かれて即答できなかった事を未だに覚えてます。
そういうわけで、
デザインって楽しい!って思う気持ちもあるし、なんだかんだ好きです。
が、
たぶんやり続けている人に比べると、ちっぽけなんだろうと思います。
デザインは、『好き。』
お絵かきは『好き!』
だからきっともうやらない。
Illustrator触るより、イラスト描いていたい。
さよなら、デザイン。
君は追うと逃げるし幸せへ導いてはくれなかったし、くれない。残念だ。共存はできなかったなぁ。
でも、ありがとうね。