こんばんは。
ずもです。
前回記事、星をたくさんつけていただきました。
本当にありがとうございます!!☺️☺️☺️
これからも良い記事書けるように頑張りますので、宜しくお願いします♫
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さて、現在の朝ドラ『スカーレット』。
毎朝観ております!
戸田恵梨香さんの演技が素晴らしいですね。
八郎の作品づくりへの迷いが抜け、ついに貴美子が本格的に夢に向かって走り出しました。貴美子が夢について語るシーンはよかった〜!
夢を語る貴美子の横で、複雑な気持ちで見守る八郎(旦那)。
自分にはない才能が、貴美子にはある。
直後の笑顔に嘘はないけれど、陶芸家として少なからず『嫉妬』『羨望』を抱いたのではないでしょうか。
夢に対する熱意に。才能に。
(あくまで私の感想です;)
そうやって貴美子が夢に向かって歩き始めるのに比例し、八郎が弟子の三津と談笑するシーンが徐々に増えているのは、陶芸に於いては才能ある貴美子の側にいるより、三津と過ごすことが落ち着くから?(持ってる人と持ってない人)。
才能がある人、それをお仕事にできる人。お仕事にできる環境・状況。
かつそれで生活できる人。羨ましい…。
(そこにも様々な苦労があるのでしょうがそれは置いておきます。)
天才は1%のひらめきと99%の努力と有名な言葉がありますが、天才は努力の才能も持っているんだろうなと感じます。
『嫉妬』
醜い気持ちだなあと…………思います。
抱いたことはあります。
デザイン勉強してたの時、上手い子やセンスある子をみて「敵わない」って思ってしまいました。見る目が育つと同時に、余計に実感するようになりました。
・生まれ育った環境
・天から授かった何か。
ここに努力や学んだことを足し算か掛け算して、『すごい』事になってく。
自分にはないんだって思うのと同時に、『(才能)ある人はいいな』って思ってしまう醜い自分がいました。なまじわたしが嫉妬心を感じてた子は、性格も良かったので余計に自分を醜く感じました。。
今、思うことは。
嫉妬をしてたのは、自分が「頑張れるのに頑張らなかった」部分も、あったんじゃないかな。「頑張れない自分」が悪いことも、わかってたんじゃないかな、と。
羨望通り越して『嫉妬』した自分はなんて醜くかったんだろう。
好きなことが嫌いになって、でもやっぱり好きで、だけど自分にはセンスも才能もないことを思い知らされるから苦しい。離れたいけど関わっていたいという、半端な気持ちで過ごしていた時期もありました。
だけど問題はセンスと才能じゃない。
『頑張らない自分』が一番の問題でした。
でも気がついたんですよね。私が好きなこと『デザイン』じゃなかった。
好きなのは『絵を描いたり物を作って、人によろこんでもらうこと』。
勿論、デザインも好きは好き、ものづくりも好き。
だけど『一番』じゃない。
ストイックなものづくりでは、自分の気持ちが100%満たされるわけじゃない。
誰かの役に立たなきゃ面白くない。
それが今度は『役に立つ自分でいよう。役に立たなきゃいけない』が行動基準になって、ブラック企業に利用される『便利ツール』になってしまったわけです。
『誰かの役に立とう』マインドが先行し、さらに就職がいつもうまくいかないこと、昔からのコンプレックス(これは割愛します)に乗っ取られた自己評価の低さで、どんどん悪い方向へ行きました。
でも良い人たちと環境に出会って、
『自分は自分でいいんだ。あんまり卑屈だと、周りにも失礼だな。嫌がられるな。
楽しくしてていいんだ!』と気がつき自分を受け入れられる自分になりました。
仕事に於いては『できないことはできないから、今できることを頑張ろう。できないことはできるようになろう。やりたいことよりすべきことをやろう。自分にできることを地味に増やそう。ゆっくりでもいいから、前に進み続けよう』みたいなマインドに変わっていきました。
自分は出来が悪いから、人の2倍、3倍努力しなきゃ人並みになれない。
100点とるには120点目指すぐらいでなきゃいけない。
まだすぐには『便利ツール』から抜けれられず、職場ではしわ寄せの大博覧会みたいになってましたが、そんな感じのマインドとスタンスで過ごしました。
few years later......(数年後)
まとめは後編へ続きます。